話題の脳外科医 猪野屋博先生との出会い

先日、アメリカに住む日本人の沖縄出身の友人と出合ったら、

「3週間前の日本のテレビで見たのだけど、とってもいい沖縄の話しで、涙がでてしまったの」と言った。

 

「そこで、あなたに聞こうと思っていた。

あなたのお母さんの脳外科医の先生も沖縄出身って言ってなかった?

千葉の病院にも勤めていたと言うから、もしかして、同じ人かと思って」

そういうと、彼女はスマートフォンでその記事を見せてくれた。

ビックリ!まさしく猪野屋先生!

アメリカで猪野屋先生の話しがでるとは、スゴイ先生だと改めて思った

 

この話は沖縄で財布を失くし困っていた17歳の高校生に見ず知らずの人が6万円を貸してくれた。高校生は飛行機の

搭乗時間に遅れそうでパニックで借りた人の名前も連絡先もききそびれ、その後、この人を探して、見つかったのが猪野屋先生

だったのだ

 

猪野屋先生との出会いは、12年前。

母が脳梗塞で倒れ、救急車で新東京病院に運ばれた。そこでの担当医が猪野屋先生だった。

日本から姉の連絡で翌日、病院に駆けつけた。スーツケースをひきながら、ボッーと歩いていた。

時差ぼけの上に母に生きている間に会えるかどうかと思うと一睡もできなかった。

猪野屋先生と面談した。

「母の具合はいかがですか?」と私。

「かなり悪い」と一言の猪野屋先生。

「悪いって、どう悪いのですか?」と攻め寄る私。

「血管が詰まっている」とまた一言。

私はイライラしてきた。こっちはアメリカから食べず寝ずに飛んできたのに

説明らしきものがない。私は頭が炎上してキリキリ声をあげ、どう悪いのか説明して欲しいと言った。

それに、先生がどう答えたのかは覚えてない。

ただ覚えているのは、看護婦さんが外科の先生は余計なことはいわない、とアドバイスをくれたことだった。

ただカッカしていた私にうまく対応してくれたのだけは覚えている。

その後、先生が沖縄に移られてるまで、母の面倒をよく見てくれた。

私と先生も医者と患者の枠をこえた人間同士の会話ができたことは、うれしいことだった。

 

人間的にとても暖かい人で、私もできるだけ母の診察にアメリカから来るようにし

先生に会うのが楽しみだった。

「えらいね。アメリカからお母さんの診断に一緒にくるなんて、親孝行だよ」

と言ってくれた。

「いえ、先生に会いに来たのです!」というと

「そうか、うれしいな」と言って一緒に笑った。

息子をお寿司屋さんに連れていってくれたこともあった。

一見こわい感じだが、知ればしるほど人間味のある先生だった。

 

先生のお陰で母の命は助かり、治療の成果で頭脳明晰の新しい母が生まれた。

記憶力は私より優れ、何があってもグチなど言わずに、決断力も早い新しい母の誕生だった。

私にはうれしい奇跡が起きたのだ。

猪野屋先生の治療後の母から、私はたくさんのことを教えてもらった。

それは、今まで知らなかった私自身の幼少から大学までの未熟な私が迷いながら

生き方を模索している姿だった。

もし、猪野屋先生に助けてもらわなかったら、私は自分自身の数章が抜けたまま

人生を終わることになっただろう。

2年前に母は転倒事故でなくなったが、猪野屋先生のおかげで、私自身を知るという

思いがけないプレゼントをもらった気がした。

 

猪野屋先生には、いつか先生のことは本に書きますね、と言ったのだが

「アメリカ流 親の家の片づけ」(大和出版)2017年で、新しい母との話しは

書いたのだが、猪野屋先生については数行書いただけだった。

 

これだけ、メディアがとりあげてくれたのは、いずれかは誰かが取り上げる人になる

運命を持つ希少な価値ある先生だからだろう。

 

また、いつの日か先生に会えることを楽しみにしたい。

#脳外科医猪野屋博


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